── 野反湖のキャンプ体験から
情報の洪水から離れて
日々、コードやデータ、そして無数の通知に囲まれて生きていると、
自分の「思考」と「反応」の境界が曖昧になっていくのを感じる。
常に誰かの発信に触れ、何かを生み出さなければと焦る日々。
それでも、心の奥で静かに「一度、全部止めたい」と願っていた。
その衝動のままに、車を走らせ、群馬の山奥にある湖──夏の野反湖へと向かった。
野反湖という静寂の聖域
標高およそ1,500メートル。
木々が風にさざめき、霧がゆっくりと湖面を撫でていく。
真夏なのに涼しい
夜、バンガローの屋根を叩く雨音だけが世界のすべてになった。
その音は、不思議と心を静め、どこか胎内に戻るような安堵をもたらしてくれた。
人工の光も、電波も届かない夜。
「静けさ」とは、何もない状態ではなく、
むしろすべてが満たされている状態なのだと気づく。
静けさが呼び覚ます創造性
静けさは、心を空白にする。
だがその空白の中で、見えてくるものがある。
普段は忙しさの中で見過ごしていた感情、
ふと浮かぶ旋律、
いつか描きたいと思っていた世界。
それらが、湖面に映る星のように、
一つ、また一つと浮かび上がってくる。
創造性は、情報ではなく沈黙から再起動する。
それは、頭で考えるのではなく、
ただ「存在する」ことの中から滲み出るもの。
火と風と時間の中で
夜、焚き火の炎がゆらめく。
薪の爆ぜる音に合わせて、時間の流れがゆっくりとほどけていく。
その隣で、熱々のビーフを焼き、
エイジドしたボルドーの赤ワインを注いだ。
深いルビー色の液体が、
雨音と火の明かりの中で小さく輝く。
一口含むたびに、身体の奥にまで静けさが染みわたるようだった。
この瞬間、何も“生産”していない。
けれど、確かに「生きている」という感覚があった。
再び歩き出すための静けさ

翌朝、霧が晴れ、野反湖の水面が鏡のように光っていた。
その光を見つめながら、ふと思った。
人は時に、何かを得ようとしすぎて、
「空になること」を忘れてしまうのではないか。
創造も、再生も、空白からしか生まれない。
自然のリズムに身を委ねることで、
人はもう一度、自分の中の宇宙とつながることができる。
それが、**Celestial Biome(星と生命圏の交差)**という
私自身のテーマの原点でもある。
終わりに:静けさを日常へ
野反湖で過ごしたあの夜以来、
日常の中でも“小さな静けさ”を取り戻す時間を持つようになった。
- 朝、コーヒーをゆっくり淹れる。
- 夜、音楽を小さく流しながら照明を落とす。
- SNSを閉じ、ただ窓の外の風を眺める。
静けさは、逃避ではなく再起動。
そして、創造性の源泉だ。
野反湖のあの雨の音のように、
心の奥から、また何かが静かに芽吹こうとしている。



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