朝と昼、一日を支える「2杯の儀式」
毎朝、そして昼下がりに一度。
私の一日は、必ずコーヒーを挽く音から始まります。
自宅のキッチンで、豆をミルに入れ、ゴリゴリと挽き、ドリッパーにセットし、お湯を注ぐ。
たったそれだけの動作ですが、今の私にとっては何より大切な時間です。
在宅で仕事をしているからこそ、この習慣は無理なく生活の中に溶け込み、私の日常の“中心”になっています。
コーヒーとの最初の出会いは「甘い缶コーヒー」
そもそも私がコーヒーを好きになったのは中学時代。
その頃は、砂糖がたっぷり入った定番の「ジョージア」の缶コーヒーを毎日のように飲んでいました。
当時はあの甘さと濃さが“大人の味”に思えていたのです。
しかし今では缶コーヒーを飲むことは一切ありません。
飲むのは、自分で挽いて淹れる砂糖の入っていないブラックコーヒーだけ。
健康を大切にしているからというのもありますが、それ以上にブラックでないと感じられない“世界”があると気づいたからです。
ブラックコーヒーが教えてくれる「大地の記憶」
豆の産地、焙煎、挽き目、抽出のわずかな差で、味が劇的に変わります。
シンプルだからこそ、ごまかしがきかず、自然の複雑さがそのまま現れる。
コーヒーとは、大地の記憶そのもの。
一粒の豆の中に、時間の層と大地の生命が詰まっている。
お湯を注ぐとふわりと膨らむ豆は、まるで小さな惑星が誕生する瞬間のようで、私はいつもその光景を少しだけ神聖な気持ちで眺めています。
在宅という環境が生んだ「静かな豊かさ」
自宅でコーヒーを淹れるようになってから、スタバなどのカフェに行くことがほとんどなくなりました。
誰もいない、自分だけの空間。
コーヒーのアロマが部屋に広がり、空気の密度がゆっくり変わっていく。
この“完全貸切状態”のひとときこそ、私にとって最高の贅沢です。
日々の雑務、ノイズ、ざわつきから距離を置き、思考を静かに整える時間。
それが、一日に二度訪れるコーヒータイムの本当の価値です。
Celestial Biome という“内なる宇宙”
私はいつも、日常の中に「宇宙的な静けさ」を感じたいと思っています。
コーヒーを淹れる時間は、その象徴のようなものです。
- Celestial(宇宙/精神の広がり)
- Biome(大地/身体と生活)
この二つが出会う場所が、私にとっての Celestial Biome。
部屋に漂うアロマ、豆を挽く音、湯が落ちるリズム──
これらはすべて、地上の営みでありながら、どこか宇宙的な瞑想のような静けさを持っています。
ブラックコーヒーを口に含むと、意識が“中心”へ戻っていく。
雑念や焦りが剥がれ落ち、ただ「今」に還る。
私にとってのコーヒーとは、
外界と内的宇宙をつなぐ、もっとも身近なポータルなのです。
コーヒーは日常を整える「最高の贅沢」
歳を重ねるにつれ、派手な刺激よりも、静かで深い体験に惹かれるようになりました。
その象徴が、毎日淹れるブラックコーヒー。
- 豆を挽く音は心を整えるリズム
- アロマは空間のバランスを変える香り
- 一口目の苦味は意識を覚醒させるスイッチ
些細な習慣が、人生の質を大きく変えてくれる。
コーヒーを丁寧に淹れるという行為は、
「自分の世界を大切にする」
という意思そのもの。
それが、私にとっての Celestial Biome の哲学です。
おわりに:コーヒーは私の“戻る場所”
日常は慌ただしく、時に自分を見失いそうになる。
でも、どれだけ忙しくても、私は朝と昼の2杯を欠かさない。
コーヒーは、私が自分の中心へ戻るための「小さな儀式」。
静けさと集中、宇宙と大地。
その両方を感じられる、かけがえのない時間です。
今日もまた、豆を挽きながら私は思う。
人生を整えてくれるのは、特別なイベントより、こうした静かな習慣なのだと。



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